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”南蛮貿易”世界の殿方達とすべて女性達に贈る!

Genden-TukuRich®︎の世界へようこそ!vol.143

🇵🇹南蛮貿易🇪🇸

我輩は、この響きが大好きである。

16世紀半ばから17世紀初期、東南アジアから東アジアの海域で行われた。

南蛮とは?

ポルトガル人スペイン人である。

1543年に種子島に漂着したことがきっかけで始まった。

漂着した船にはポルトガル人も乗船していた。

人を殺めた事に悩む”ヤジロウ”を乗船していたキリスト教徒がマカオに連れて行きフランシスコ・ザビエルに会わせ懺悔させた。

これがフランシスコ・ザビエル来日するきっかけになったと言う。

ヤジロウが日本初のキリスト教徒』となる。

ここから東南アジアとの貿易が始まる。

定期航路の開設

平戸への来航が増えると、近隣の領主である『大村純忠が日本初のキリシタン大名』となる。

横瀬浦から福田浦そして長崎に貿易港が移っていく

この時代に織田信長と豊臣秀吉が南蛮貿易を奨励している。

信長

信長は楽市楽座で道路通行の強制や宿場町での積み替えを強制。これは当時のヨーロッパの都市振興策と共通点をもつ策のようだ。

秀吉は貿易の利益を望みつつも、キリスト教に対してはを追放令を出している。

ここが信長と秀吉の違いだ!!

貿易の品

  • 生糸、金、陶器、生薬、砂糖
  • 他には、カボチャ、スイカ、とうもろこし、じゃがいも、パン、カステラ、タバコ、地球儀、メガネ、

火縄銃とは?

ポルトガルの銃を模倣したものである。ポルトガル人が中国船で薩摩国の種子島に漂着し、その際最初の3丁の銃が日本に輸入され、地名を取って火縄銃を「種子島」と呼んだようだ!

ステンドグラス

南蛮貿易文化で外せないのは長崎の大浦天主堂のステンドグラスだ!

この模様は実に美しい!芸術だ!

何故、南蛮貿易が終焉を迎えたのか?

南蛮貿易には切っても切り離せないのがキリスト教の布教がある。

初めはポルトガル人だけだったが貿易が進むに連れスペイン人も増え布教にも拍車がかかった。

金品を持ち込む際、必ず人はやってくる。布教が始まるのだ!

長崎の腐敗に幕府は奉行の金品の取引と布教と密貿易も発覚した為、策として出島たるものを建設しポルトガル人を管理するに至る。

島原の乱が起きポルトガル人は追放となる。

これが鎖国の始まりである。

南蛮貿易は西欧の文化とアジアの文化が融合した芸術である。

宗教布教と密貿易と奉行の腐敗管理が重なり終焉を迎えた。。

誠に残念でならない!もし続いていたら日本の文化ももっと変わっていたに違いない。

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